城郭を考える 大阪城
今回は、大阪城について考えたいと思います!!
かなり大きい城で迫力があります!!
目次
大阪城とは?
歴史と特徴
考察
1.大阪城とは?
大阪城とは、別名、錦城や金城と言われています。
これは、築城主である秀吉の影響があると思います。
形式は、平城です。
江戸幕府も築城主として存在しています。
2.歴史と特徴
かつて大阪の地には、蓮如によって「大阪御坊」が作られ、寺内町が建設されました。
この大阪城の跡地には浄土真宗の寺であった本願寺の跡地に作られています。
ですがこの城は、秀吉が亡くなったあとは大阪冬の陣、夏の陣で徳川家康によって攻められてしまい落城しました。
この城は、徳川家康の権威を示すものとして再修復されました。
①天守台
この天守台は、実は東京にある江戸城と同じものでらありました。
ここから徳川家康の権威を示したいという考えが見えますね。
②大手口
これは、二の丸西面に構えられました。一ノ門を「高麗門」として、二の門を「櫓門」といわれました。
この規模はなんと日本最大の大きさだといわれています。
門には鉄板が張られており、城が軍事施設であることを物語っています。
3.考察
ここからは、考察をしていきたいと思います。
この城は、2回建てられています。徳川家康は昔の大阪城、つまり豊臣政権時代の大阪城には、豊臣政権の見えない力があると感じ破壊したのではないかと考えました。
この時代は、神頼みすることもあったように戦の神を信じると言った考え方がありました。
それも関係しているのではないかと考えました。
さらに大阪城はかなり広い敷地内に建てられています。
これは、豊臣秀吉の派手さというのが関係しているのではないかと考えました。
秀吉は、金の茶室を作るなど自分自身を派手に見せようとしました。
お金使いがすこし荒かったのではないかと思います。
でも大阪城自体は、かなりの軍事施設であり、
四方八方どこから攻められても陥落させるのが難しい城だという印象があります。
その城の堀は1度冬の陣の時に埋めたてられています。
これが夏の陣での豊臣政権の滅亡を意味しています。
家康はかなり慎重な性格が見えますね。
今回は、この辺で
とある大学生でした!
参考文献
蔵 敏則 『ビジュアル・ワイド 日本名城百選』 株式会社 小学館 2008
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