城郭を考える 小田原城
今回は、神奈川県にある「小田原城」について考えていきたいと思います。
をかけた城攻めで落とされてしまった城です。
歴史が積み重なった重要な城なので考えていきたいと思います。
目次
小田原城とは?*
歴史と特徴
考察
1.小田原城とは?
形式は、平山城で築城主は、大森氏と稲葉正勝と言われています。
戦国時代の頃に存在した扇谷上杉家よ戦略拠点として存在していました。
かつては、大森氏が所有していましたが、伊藤宗瑞が取りました。
その後は北条氏の拠点として降臨しました。
2.歴史と特徴
徳川家康がいた頃には、小田原の地は関東に入るための重要な拠点であったので
譜代大名を小田原城に入れ、大久保氏から幕府直轄となり稲葉氏が納め、
最後には大久保氏が返り咲き幕末を納めていました。
①近世の小田原城の本丸
江戸時代に再建されており、二の丸、馬屋曲輪、小峰曲輪、用米曲輪などがあります。
今の天守は、江戸時代の資料に基づいて作られたが細部はすこし違っています。
②馬屋曲輪
二の丸の南東にあります。
水堀で囲まれているが機能の面では、馬だしとなっています。
馬だしと枡形虎口とを組み合わせた、かなり屈強なかまえである。
3.考察
ここからは、考察をしていきたいと思います。
この城があるのは、小田原です。
小田原と江戸はかなり近いイメージがあります。
さらに膿が近いことから水軍から攻められることが多かったではないかと考えました。
それもありここを取られるのは厳しいことが徳川家康はわかっていたのではないかと考えました。
室町時代からあった城ということもあり
かなり軍事的な城であることが分かります。
戦国時代の戦いの激しさが城にも反映されており、軍事の面ではかなり重宝していた城なのが分かります。
あとは、この城が江戸時代末期まで残っていたという面です。
取り壊されてたりなどはしましたが
かなり権威のある城というイメージがありなかなか壊すのが怖かったのではないでしょうか
今回はこの辺で
とある大学生でした。
参考文献
蔵 敏則 『ビジュアル・ワイド 日本名城百選』 株式会社 小学館 2008
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