城郭を考える 名古屋城
はい!やって参りました。
「城郭を考える」シリーズ
さてさて今回は、「名古屋城」について考えていきたいと思います。
最近、本丸御殿が復元されましたね!
私も前行って来ましたが細かい職人の技が多数見える良い建築部だと思いました。
1.名古屋城とは
名古屋城とは、
名古屋城は、別名金鯱城 金城といわれています。
これは、名古屋城の上に金鯱があるからだと考えます。
名古屋城の象徴の1つのですね。
築城主は、徳川家康で形式は、平城です。
緑色の屋根が特徴ですね。
なんといっても金鯱ですね。
2.名古屋城の歴史
この名古屋城が作られた背景には、豊臣家への包囲網が作られることが狙いです。
そこで、築城工事は、西国大名一九家に助役として築城が開始されました。
かなりの人数で築城に取り掛かったので
作業は急ピッチで進みました。
ですが築城している際に大阪冬の陣と夏の陣の影響でなかなか築城は進みませんでした。
完成をみたなのは、5年後の元和元年です。
ですが豊臣家が滅亡したことで城の総構工事は中止になりました。
3.特徴
①清須櫓
城内にある三重三階の最大の櫓です。
この櫓は名前通りに清須城から移築された可能性がある櫓です。
でもそのままもってきたわけではなく
古木を使い建てました。
②本丸西南隅櫓
今では重要な文化財の1つとして登録されており、外観2重で内部3階でかなり大きい櫓です。
石落としなどのギミックもあります。
③天守台石垣
名古屋城の石垣には、「加藤肥後守 内小代下総」
と刻まれている石が存在します。
皆さんもぜひ探して見てください。
4.考察
ここからは、私の考察をしていきたいと思います。
この城が大阪冬の陣と夏の陣の間作られてそれが終わってから建設の総構を中止するということに関して、これは、名古屋城を徳川家の権威の象徴として、
豊臣家を牽制するためだけに作られた、権威的な城であったのではないかと考えます。
江戸から大阪というのはかなり遠いです。
豊臣家が政権を奪還しようと江戸に進軍してきた場合
進軍に関しては伝令などの手段で監視をしているのでしょうが山崎の戦いの時にも豊臣秀吉だがその子供であるので道順センスはあると考えます。
最短距離などでこられたら対処の仕様がありません。
そう考えると名古屋城を建設することによって伝令の情報を伝える力が大きく、速くなります。
さらに先に名古屋城にぶつけることにより
江戸で準備を、してから戦えます。
清須櫓のことに関しても古木を使っていることから
かなり廃材を大切に扱っていたことが分かります。
この時代から「リサイクル」という考え方は存在していたことを裏付ける建物だと思います。
今日はこの辺で!
ぜひ見に行ってみてはいかがですか!!
とある大学生でした!
参考文献
蔵 敏則 『ビジュアル・ワイド 日本名城百選』 株式会社 小学館 2008
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