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大学生が歴史と歴史学を考える

とある大学生です。未熟者ものですが自分なりに歴史についての疑問や考え方を発信していきたいと考え始めました。アドバイスなどは歓迎します。「ここは違う」や「このような考え方はどうか?」などよろしくお願いします。コメント通して成長していきたいと思います。大学生の考え方なども分かると思うので興味のある方は是非ご参照ください

1分間で分かる! 建武の新政

今回も1分間で分かるシリーズです。


今回は、「建武の新政

について話していきたいと思います。


では行きましょう。

目次

建武の新政とは?

考察


1.建武の新政とは?

建武の新政とは、後醍醐天皇

が打ち立てた政治改革です。

ちなみにこの建武という年号は、中国の光武帝の頃の漢王朝復興

した時の年号をとったものです。

なんと権威を示すために


天皇は、銅銭や紙幣を発行しようとしました。

この建武の新政の目的は、

天皇への権力集中が目的でした。


そのやり方として、綸旨という土地所有の確認のために作られた物も存在しました。

中央には、新たな政治体制を作り上げました。

地方には、

国司・守護、陸奥将軍府鎌倉将軍府

中央には、

警備の「武者所

所領関係の裁判を扱う、「雑訴決断所

恩賞事務を担う、「恩賞方

重要政務を行う「記録所

などありました。

旧幕府の家臣が多く登用されています。

ですがこの改革は、武士の慣習を無視していたものであったため武士からかなりの不満がありました。

2.考察


ここからは、考察です。

この政治権力の変容は、今まで政治体制が貴族などが中心だったものが武士へと変容してきたことを明らかにします。


武士の変容自体は、鎌倉幕府の頃から行われてきましたが


この出来事をきっかけにさらに確立させていった出来事でありました。


さらに天皇中心の世の中に戻そうとしたことは、


これは、ナショナリズムの高揚といっても良いと思います。


元々武士は、豪族などのその地方を担う、平民との仲介的役割を行なっていました。


ですが武士が力を持ち始めたことにより、


政治体制にもその影響を受け始めました。

天皇への政治体制のあこがれ


こそ後醍醐天皇の考えていたことであったのではないでしょうか?


今回はこの辺で


ありがとうございます。


とある大学生でした。


参考文献

笹山晴生他 『詳説日本史 改訂版』株式会社 山川出版社 2016

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