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大学生が歴史と歴史学を考える

とある大学生です。未熟者ものですが自分なりに歴史についての疑問や考え方を発信していきたいと考え始めました。アドバイスなどは歓迎します。「ここは違う」や「このような考え方はどうか?」などよろしくお願いします。コメント通して成長していきたいと思います。大学生の考え方なども分かると思うので興味のある方は是非ご参照ください

モノレールの歴史 〜日常歴史〜

はい!

今回は、


モノレールの歴史

について



話していきたいと



思います



では


いってみましょう!



目次

モノレールの歴史

考察


1.モノレールの歴史


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モノレールは、レール又は、桁に跨ったりしている、人や物を運搬する交通システムです。
世界で初めての、モノレールは、1824年にロンドンで、木製の支柱に貨物をつるして、馬で牽引するといったシステムを使っていました。
19世紀頃には、あめかやヨーロッパ各地で機会化されていき、いまでは、様々な形式のモノレールがあります。1901年にドイツで建設されたモノレールは、今でも活躍しています。




2.考察

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ここからは、考察をしていきたいと思います。

  1. このモノレールは、「人間運ぶために必要な機械」となっています。さらに、これを発明することによって、人は、空間を自由自在に移動することができるようになります。これは、空間拡張の原理といっても良いと考えます。これは、人が、移動できる範囲が、古代よりも、広く、大きくなったということです。


今回は



この辺で



ありがとうございます。


とある大学生でした





参考文献
モノレール・歴史・種類|一般社団法人 日本モノレール協会 JAPAN MONORAIL ASSOCIATION

http://www.nihon-monorail.or.jp/history/

セロリの歴史 〜日常歴史〜 再考

はい!!



今回は、




セロリの歴史


について


話していきたいと


思います


では


いってみましょう!



目次

セロリの歴史

考察


1.セロリの歴史

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セロリの野生種と言われているのは、ヨーロッパか、インド西北部にかけての湿地に自生していると言われています。古代ギリシア古代ローマには、薬用として使われていました。さらに、葬儀や魔よけなどに使われていました。
栽培自体が始まったのは、16〜17世紀です。イタリアやフランスなどでは、食用として広まり、その頃には、19世紀頃までにはヨーロッパ全域アメリカに伝わったとされています。
日本では、文禄・慶長の役に出兵したとされる、「加藤清正」が朝鮮半島から「東洋種」のセロリを持ち帰ったというものがあります。




2.考察

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ここからは、考察をしていきたいと思います。
このセロリが「薬用」として使われているのかについて話していきたいと思います。これは、「苦味」が病を治すと思われていたからなのではないかとおもいます。これは、この苦味成分=栄養素が高いがあったからではないかと思います。
さらに、様々な国に広まっている所が、ある意味「宣伝効果」を発揮している感もあります。



今回は



この辺で



ありがとうございます



とある大学生でした。


参考文献

セロリ セルリー

https://www.yasainavi.com/zukan/celery.htm

レモンの歴史 〜日常歴史〜 再考

はい!!


今回は、



レモンの歴史


について



話していきたいと



思います



では


いってみましょう!


目次

レモンの歴史

考察


1.レモンの歴史

f:id:gakuseirekisikangaeru:20201004125316j:plain



レモンの祖先とされているのは、中国南部もしくは、インダス周辺と言われていて、シルクロードを通ってヨーロッパへ渡ったと言われています。ですが、実は今ではレモンは「食用」ですが、当時は、観賞用でした。中東では、健康のために食用として料理に頻繁に使われています。
10世紀半ば、東地中海の海岸でレモンの栽培が行われていたとされています。その後は、エジプトの市場でも売られるようになりました。11~13世紀には、「十字軍」により、調理法などが伝わったとされています。さらにコロンブスによっても海を超えてアメリカにも渡りました。そして航海中には、レモンの栄養素である「ビタミンC」がかなり重要なものなので病の予防として使われていました。




2.考察

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ここからは、考察していきたいと思います。このレモンが食用としてでは無く、「観賞用」として使われていたのは、このレモンが酸味が強いといったことがあるのでは、ないかと考えます。この酸味は、「食べられるものではない」といった考え方があったのではないかと考えます。


今回は




この辺で



ありがとうございます




とある大学生でした。






参考文献
レモン伝播の歴史-レモンのヒミツ|レモンを知る|ポカサッポロ


https://www.pokkasapporo-fb.jp/lemon-museum/know/history/

アジの歴史 〜日常歴史〜 再考

はい!!


今回は「アジの歴史



について




話していきたいと思います




では



いってみましょう!!

目次

アジの歴史

考察

1.アジの歴史


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アジは、縄文時代の頃から食べられており、遺跡からも多数の「アジの骨」が出土しています。かなり古い時代から、日本人に食べられていた魚なんですね。アジは実は俳句の世界でも、「季語」として使われており、夏の季語として多くの句に詠まれています。
アジの語源には沢山の説がありますが、味が良いということから呼ばれるようになったことが最も有力な説です。

2.考察


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ここからは、考察をしていきたいと思います。この「アジ」という名前の由来について、これらは、庶民に食べられるようになってからの名前だと考えます。それは、庶民の方が、1度一般に振る舞われるようになると色んな人から食べられるようになるためです。農民や商人などに食べられるようになると、そのたべものの良さがかなり伝わっていき、食卓にもかなり並ぶようになることからです。さらに、庶民に親しまれるようになったことから、俳句を書く時にも、俳句の季語として、「アジ」が使われていったのではないかと考えます。



今回は



この辺で



ありがとうございます



とある大学生でした


参考文献
アジ 鯵 釣り百科-あるゆる釣りの知識が集約!

https://tsurihyakka.yamaria.com/issues/アジ

眼鏡の歴史 〜日常歴史〜 再考

はい!!!



今回は


眼鏡の歴史」について


話していきたいと思います。


目が悪くなってくると

お世話になる方もいると思います。


今ではコンタクトレンズというものも


開発されていますね。


今回は眼鏡について


話していきたいと思います。


ではいってみましょう!!!


目次

- 眼鏡の歴史

- 考察

1.眼鏡の歴史


眼鏡は


まず最初にレンズとして存在していました。

紀元前の古代から


ある種類の石がレンズとして使われていました。


それは水晶です。

紀元前700年頃にニネヴェ


の遺跡で発見されています。


その時代のレンズは

視力のために使われていたものではなく



太陽光を取り入れる集める


という用途に使われていました。

皇帝ネロが生きた

紀元1世紀頃は

レンズにエメラルドを用いていたことがわかっています。


これは

眩しい光から目を保護するために


使われていました。



眼鏡の能力を発見したのは

アラビアの数学者と言われています。

彼は物理学者でもあり


天文学者でも



ありました。


それはアルハーゼンです。


適度にカットされた


レンズを使うことにより


人間の視力を手助けすることを



発見しました。


視力を補うとされるレンズの最初は


リーディングストーン


と呼ばれるもので


本などを見る際に

ルーペようなものをおいていました。


13世紀頃は


眼鏡は悪魔の仕業


だといわれていました。


それはキリスト教の考え方が原因です。

それでも眼鏡は作られていまして


イタリアのベニスでは



ガラス製造技術が発達したことにより

眼鏡が発明されました。


日本では


大内義隆に献上されたはものとして眼鏡があります。


これが最初に日本に伝わったきっかけです。

エスズ会の宣教師


フランシスコ・ザビエル


によって


伝えられました。


現在のようなものではなく

手で持ってみるタイプのものでした。


17世紀には


手持ち式眼鏡

が現れていました。


この時期になると

眼鏡を紐で耳にかけるタイプの


ものが



存在し始めます。








2.考察


ここからは


考察をしていきたいと思います。


眼鏡のレンズは

今はガラスが使われていますが


前は



水晶を使っていたことに関して


水晶を加工する技術が存在していたことがわかります。


ネロがエメラルドを埋め込んでいたということに関してでも


この時代の使用用途は

日光などから


目を守ると言う目的です。


今のメガネとは違い


どちらかと



いうと



サングラス


のような



役割をもっていることがわかります。


そう考えると



あまり強い光が


目に入ってしまうと


人間の目は 機能を失っていくということが


考察されていたのではないでしょうか?


確かに


太陽光を直接見ると


下手したら失明してしまうと

でさえ




言われています。



なのでこれは


この時代から分かっていたことだったいうことです。



今回は

この辺で



ありがとうございます。



とある大学生でした!!



参考文献

メガネの歴史 |東京メガネ
https://www.tokyomegane.co.jp/museum/progress/


他にもどうぞ

鰹節の歴史 〜日常歴史〜 再考

はい!!



今回は、


鰹節の歴史


について



話していきたいと思います


では


いってみましょう!!



目次

カツオブシの歴史

考察


1.カツオブシの歴史

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鰹節は、「室町時代」にホシガツオや煮干しガツオになんと、「焙乾」という技術が導入されたことによって生まれたとされています。当時の焙乾設備は、台所と兼用のものが多く、囲炉裏の上にカツオをおくといったようなことをして、煮炊きする時の熱を使い、熱と煙により自然と焙乾されるものでした。ポルトガル船やイギリス船などによって、平戸から琉球を経て、明国などに輸出されていました。その後世間に知られるようになったのは、紀州の焙乾小屋が改良されたことによって、鰹節が進歩し始めました。大商人な上流階級が、煮物や汁物の調味料に加える形で鰹節が「だし」として使われるようになりました。これらは、今の日本料理の基礎となっています。






2.考察

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ここからは、考察をしていきたいと思います。
この鰹節というのは、ある意味、魚の保存方法の革命ということなのではないかと考えます。それは、焙乾です。いわゆる魚の身を火で燻ることによって魚の中の細菌や寄生虫を取り払うことができるのは、この時代、魚を概しての「食中毒」というものをかなり減らせたのではないかと考えます。




今回は



この辺で



ありがとうございます



とある大学生でした









参考文献
鰹節の歴史 |カツオと鰹節|かつお節塾|株式会社にんべん

http://www.ninben.co.jp/katsuo/katsuobushi/history/

団扇の歴史 〜日常歴史〜

はい!!


今回は、



団扇の歴史

について

話していきたいと思います


では


いってみましょう!


目次

団扇の歴史

考察


1.団扇の歴史



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うちわの原型が登場したのは、「古墳時代」です。です。中国から伝わったとされています。木製であり、主に儀式などに使われていました。その後は、公家や役人などの位の高い人物が顔を隠すために使用していたり、虫を追い払うために使っていました。戦国時代では、軍配として使われています。あえて、合戦の時に指揮を取る際に使われていました皮革、鉄などで使われていました。江戸では、今のようなうちわの形になっていきました。暑さを凌ぐために、炊事の時の火起こしのために使われています。かなり日常的になっていきます。さらに、団扇が芸術品としても好まれるようになりました。明治時代になると、うちわは、「広告」として使われるようになりました。町中でよく配られていました。






2.考察

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ここからは、考察をしていきたいと思います。この団扇というのは、使う用途がかなり変化して来ているのが分かります。これは、時代事に誰が中心になっているのかについてで分かります。最初は、「貴族」が中心でした。その次の軍配は、「武士」江戸は、戦うことがないことから、「庶民」中心といったようなことから考えました。





今回は



この辺で



ありがとうございます




とある大学生でした





参考文献


団扇(うちわ)の語源は?漢字の由来や歴史について解説 !うちわのオリジナル印刷通販 [うちわ印刷キング]

https://www.utiwaya.com/c_page/8602/0001.html