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大学生が歴史と歴史学を考える

とある大学生です。未熟者ものですが自分なりに歴史についての疑問や考え方を発信していきたいと考え始めました。アドバイスなどは歓迎します。「ここは違う」や「このような考え方はどうか?」などよろしくお願いします。コメント通して成長していきたいと思います。大学生の考え方なども分かると思うので興味のある方は是非ご参照ください

鏡の歴史 〜再考〜

今回は、鏡の歴史について考察していきたいと思います。

鏡はいつの時代から存在していたのでしょうか。

今でもたくさんの所に存在しています。

家にもありますね!

ではいきましょう!

目次

鏡の歴史

考察

1.鏡の歴史

昔は、鏡は「水鏡」と言われていて古代の人達は、水に映る自分の姿を見ていました。

これは、雨などが降った次の日にできる水溜まりや桶などで映っていました。

その後、鏡は、金属製のものへと変化していきます。

現存している鏡でもっとも古いと言われている鏡は、

エジプト第6代王朝」のものです。

これは、「銅鏡」と言われていました。

その後は、水銀、ガラスと技術革命を起こしていきました。


ちなみに、日本では、「弥生時代」の頃に伝えられました。

隅田八幡神社人物画像鏡」などが出現していきました。


これらは、裕福な人達が揃って使っていました。

平安時代になると日本独自の鏡が誕生しました。


それは、「和鏡
です。

自然物を鏡の裏に模様として作られるようになりました。

江戸時代になるとようやく大量生産されるようになり、

一般庶民にまで使われるようになりました。





2.考察

ここからは、考察です。


鏡が普及した背景には、「美への探求心」が関係しているのではないかと考えました。


これは、男性でも女性でも誰でも探求するものです。

これは、正直いって「文化」と位置づけできるとも考えられます。


さらに鏡を見ることにより、今まで分からなかった「顔に現れる体調の変化」を見つけることが容易になったと解釈できます。

それで外傷から発症する病気が少なくなったのではないかと考えました。

体調が悪いと顔が青ざめたり、唇が青くなったり、

頬が赤くなるなどの「視覚的変化」を見つけることが簡単になります。




今回はこの辺で


ありがとうございます。



とある大学生でした!!



参考文献
歴史-よく分かる鏡の世界

http://www.ywkagaminosekai.com/kagami/k-rekisi.html

他もどうぞ


カッターシャツの歴史 〜再考〜

はい!


今回は、


カッターシャツの歴史について

話していきたいと思います。



では



行ってみましょう!




目次

考察

1.カッターシャツの歴史

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シャツの歴史は、古代ローマで着用されていたとされています。これは、チュニックと呼ばれていました。2枚に重ねて、内側に重ねたものを特に、「スブクラ」と呼ばれていました。これらは、頭から被るようなスリット付きのシーザー元老院が着ていた衣装のことをいっており、貴族は、又長は膝丈ぐらいと言われています。




2.考察

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ここからは、考察をしていきたいと思います。このカッターシャツは、古代ローマで着用されていたことが分かっていますが、これは、この古代ローマでこのようなシャツという概念的生産物が存在していたといっても良いと思います。カッターシャツ自体名目は、ローマの力、つまり技術力といった面があったと考えます。




今回は


この辺で

ありがとうございます



とある大学生でした





参考文献

シャツの歴史について[ワイシャツの百科事典]

http://www.y-shirts.jp/history.html

ミシンの歴史 〜再考〜

はい!!


今回は


ミシンの歴史」について


話していきたいと

思います

では


いってみましょう


目次

ミシンの歴史

考察


1.ミシンの歴史

f:id:gakuseirekisikangaeru:20210131092901j:plain


ミシンは、イギリスのウィリアムリーとよばれる人が、妻の毛を編むのからヒントを得て、機械あみを考えたと言われています。これがミシン研究の始まりと言われています。
その後、トーマス・セントがミシンの条件を備えた機械が発明され、その後アイザック・シンガーは、修理にきたミシンを今によく似たより良い、ミシンの開発を手がけたと言われています。


2.考察

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ここからは、考察していきたいと思います。このミシンは、ある意味、機械化の歴史といったものを歩んできたことが分かります。このミシンは、主に裁縫の道具として使われてきたといったことが分かります。服というと良いものが作られたのは、軍服といった戦いのために使われているものといった丈夫ではいけないものや機能性といった細やかなことを気にしなければなりません。このような、面もあるのではないかと考えます。




今回は



この辺で



ありがとうございます



とある大学生でした、


参考文献

ミシンの博物館 ミシンの種類
https://www.juki.co.jp/jp/muse/his/history01.html

ベルトの歴史 〜再考〜

はい



今回は


ベルトの歴史」について



話していきたいと



思います


では


いってみましょう!



目次

ベルトの歴史

考察


1.ベルトの歴史

f:id:gakuseirekisikangaeru:20210131093332j:plain

日本で最古のベルトと言われるのが、正倉院
にある宝物の中にあると言われています。
その名称は、紐玉帯と呼ばれており、宝石などを嵌め込んだ豪華なもので今のようなベルトが定着したのは、洋風の服が定着してからだと言われています。最初に洋服が入ってきたとされる年代は、戦国時代だと言われています。ですがその後鎖国が行われたことから普及はしませんでした。兵隊の訓練などが始まると、軍服にベルトが用いられるようになり、政府の上官は洋服を着用するようになったことで、使われるようになりました。
ですが、このベルトを使う日は、かなり少なくかなり経たないと普及はしませんでした。

2.考察


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ここからは、考察をしていきたいと思います。このベルト自体は、かなり古い時代からあったとされています。これは、平安時代の時となどは、隋や唐
といったその時代のパワー国家との交易によって、新たなものが輸入されることがしばしばあったといったことから、このようにベルトが装飾品として存在していたのではないかと考えます。



今回は


このへんで


ありがとうございます



とある大学生でした
参考文献
歴史 日本服装ベルト工業連合会

https://belt.or.jp/hpgen/HPB/entries/61.html

ゴム手袋の歴史 〜再考〜

はい!


今回は



ゴム手袋の歴史



について



話していきたいと思います



では

いってみましょう!


目次

ゴム手袋の歴史

考察

1.ゴム手袋の歴史

f:id:gakuseirekisikangaeru:20210131093641j:plain

ゴム手袋は、戦前ではあまり使われておらず、本格的にゴム手袋を生産されるようになったのは、なんと昭和30年頃だと言われています。戦前の頃はゴム統制があったのだがそれが解かれたことにより、ラテックス製の製造が割合簡単に出来たことから、一挙にゴム手袋の生産が盛んになったと言われています。ゴム手袋は、農業、漁業でよく使われてとり、今では寒冷地で特に重宝されています。今はビニル製の手袋、ニトリルゴムといったものも使われるようになっています。


2.考察

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ここからは、考察をしていきたいと思います。
このゴム手袋は、やはり素材として少なく、日本でも頻繁に取られることはなかったこと、ゴム製品=欧米
といった戦争をしていた時に、抱いていたかもしれない負の感情といったものが関係していたのではないさと考えます。でも今ではたくさんの場所で使われているので、かなり良いとは思います。



今回は



この辺で


ありがとうございます


とある大学生でした
参考文献

日本グローブ工業会
https://www.nihon-glove.com/history.html

バックルの歴史 〜再考〜

はい!



今回は



バックルの歴史



について



話していきたいと





思います

では



いってみましょう!


目次

バックルの歴史

考察

1.バックルの歴史


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バックルは、なんと、ギリシア甲冑・靴・革ゲートル
といった金属製のものがあり、中世でもかなりよく使われていたことが知られています。ベルトのバックル自体は、男子のズボンに15世紀頃から使われるようになり、婦人服には、19世紀頃から使用されるようになりました。
今では、デザイン性もかなり多くなり、バリエーション豊富のバックルのスタイルへと進化していきました。


2.考察

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ここからは、考察をしていきたいと思います。このバックルといったものは、金属製といったものが関係していることが分かります。これは、このバックルというものが、その人物の服装にあまり目立たず体をか、服を固定させるのかといった概念が存在していたことが分かります。これらは、ベルトと一体化することによって、ある意味オシャレ的な存在があるともいえます。



今回は



この辺で




ありがとうございます




とある大学生でした





参考文献
バックルとは?〜バックルの歴史と基本形状 公式 株式会社クロップオザキ スタッフブログ

https://belt.or.jp/hpgen/HPB/entries/61.html

里芋の歴史 〜再考〜

はい!!



今回は

里芋の歴史


について



話していきたいと思います



では


いってみましょう!!!



目次

里芋の歴史

考察

1.里芋の歴史


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里芋の「原産地」は「東南アジア」と言われています。元々水湿地には、繁殖していた品種は存在しており、品種が中国南部で栽培化されるようになり、作物化されたものが他の地域に伝わったとされています。
食用のイモは「タロイモ」さといもはその一種となっています。山地に自生していたヤマイモに対して、里で栽培されることから「里芋」となっています。日本に伝わったとされるのは、「縄文時代」だと言われており、山間部では、農耕儀礼儀礼として用いられ、正月料理にさといもは使われています、
大分県豊後の辺りでは、縄文時代の遺跡が多いことから里芋の栽培に必要な道具が多く発掘されています。





2.考察


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ここからは、考察をしていきたいと思います。この里芋が普及した背景に、芋が主食となるパターンがあると考えます。これは、イモがエネルギー源となる、「炭水化物」となること、味に飽きが少ないことから考えられます。これらから、この芋が普及したのではないかと考えます。


今回は



この辺で



ありがとうございます



とある大学生でした




参考文献

さといもの歴史|豊後大野市さといも|「里丸くん」大野の野菜畑 大分県豊後大野市

http://satoimo.jp.net/history/