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大学生が歴史と歴史学を考える

とある大学生です。未熟者ものですが自分なりに歴史についての疑問や考え方を発信していきたいと考え始めました。アドバイスなどは歓迎します。「ここは違う」や「このような考え方はどうか?」などよろしくお願いします。コメント通して成長していきたいと思います。大学生の考え方なども分かると思うので興味のある方は是非ご参照ください

りんごの歴史 〜再考〜

はい!!


今回は



りんごの歴史


について



話していきたいと



思います




では



いってみましょう!!



目次

リンゴの歴史

考察

1.リンゴの歴史


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リンゴ栽培は、有史以前から始まっていたとされており、原産地とされているのは、「中国の天山山脈コーカサス地方からヨーロッパ」、さらにアメリカにも伝わりました。
アメリカのリンゴ栽培の元になったのは、ヨーロッパから入っていたものです。
地球の磁気を利用して地下水脈を探る道具になんと、リンゴの枝を使っていました。今のようにリンゴが作られ始めるのは、130年前のことです。アメリカは、品種を75種も輸入し、りんごの適正を調べた所、長野や青森などの冷涼な地域に適していることが分かったので、新作物として普及しました。ですが太平洋戦争の影響で作付統制令の影響がかなり強く、これにより、リンゴづくりは、かなりのダメージを負いました。


2.考察

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ここからは、考察をしていこうと思います。このリンゴは、太平洋戦争の時に、「作付統制令」でリンゴを作らなかったのかについて考えていきたいと思います。これは、「リンゴが西洋」というイメージ、敵国から入って来た食べ物であるといった考え方があったのではないかと考えます。
これは、この頃の日本人には、「あたりまえ」の考え方だったと思います。



今回は


この辺で


ありがとうございます


とある大学生でした







参考文献

りんごの歴史

https://www.timesoft.jp/mini/2002/10-12/1107.html

椿の歴史 〜再考〜

はい!


今回は、


椿の歴史

について



話していきたいと思います




では



いってみましょう!!



目次

1.椿の歴史

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ツバキは、『日本書紀』に記録が残っており、景行天皇が九州で起こった乱を鎮めた時に、土蜘蛛に対して、海石榴の椎を用いています。ツバキの材質の強さにちなんだ逸話とされています。室町八代将軍・足利義政の代に明から椿堆朱盆といった工芸品を数多く取り寄せ、題材として使われていました。江戸時代になると、徳川秀忠がツバキを好んだことによって、芸術の題材としてよく使われるようになりました。栽培も一般的になっています。



2.考察

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ここから考察をしていきたいと思います。このツバキは、乱を収めたということがあります。これは、この古代の時代から行なわれていたことから、これは、今後、乱はたくさんおこってきます。戦いを好まない人もいます。そのような人たちが、「ツバキ」を掲げて停戦運動などをしたようなことがあったのでは無いかと考えました。これは、この「ツバキ」を天皇が使っていたということから考えます。天皇のお姿というのは、この時代、戦後まで明かされていなかったほど高貴なものでした。ここまで高貴なヒトが使っているものを使わないと言った選択肢は取れるでしょうか?
難しいと感じたことからです。




今回は



この辺で




ありがとうございます


とある大学生でした







参考文献

ツバキ(椿)-歴史まとめnet

https://rekishi-memo.net/plant/camellia_japonica.html

線香花火の歴史 〜再考〜

はい!!




今回は




線香花火の歴史




について




話していきたいと思います




では




いってみましょう




目次

線香花火の歴史

考察

1.線香花火の歴史


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線香花火は、江戸時代の俳諧選集である洛陽集に、葦や少し細い藁の先に、火薬をつけたとされる、花火を香炉に立てて遊んでいる女性の様が詠まれています。この格好が線香ににていることから、「線香花火」と言われています。

線香花火には、2種類あり、由来のような、「スポ手牡丹」和紙を使い、火薬を垂らす、「長手牡丹」があります。前者は、江戸の街では入手することが難しいことから、衰退していきました。この「スポ手」を流行させたのは、「鍵屋
長手を流行させたのは、「玉屋」と言われており、あの有名な鍵屋、玉屋もこの線香花火の話には関わっているのです。


2.考察


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ここからは、考察をしていきたいと思います。
この線香花火には、種類がありました。これは、花火の世界には分かれているということが分かります。これは、この花火に関しての「作り方」というものが少し違っていたからではないかと考えます。これは、花火に対しての花火師の大いなる思いが互いにあったことによってではないかと考えました。



今回は、



この辺で




ありがとうございます





とある大学生でした








参考文献


線香花火の由来

http://w.hanabiya.co.jp/column/column2.html

筆の歴史 〜再考〜

はい!!


今回は、



筆の歴史




について




話して


いきたいと思います。



では



いってみましょう!



目次

筆の歴史

考察

1.筆の歴史

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筆の歴史は、かなり古く、4500年前と言われています。今使われている、筆の毛は「獣毛」を用いて作られています。これは、中国がまだのなっていた時からです。日本に本格的に筆が伝来しているのは、大和時代からと言われており、中国文化との交流から、輸入されました。後嵯峨天皇の時代には、弘法大師が唐に渡り筆の製法が習得され、それらを民間に伝承したことからと言われています。平安時代には、日本の仮名文字や調和体に適する独特の改良が加えられていたことによって、日本の製筆技術は進歩を遂げていったされています。これらは、江戸末期まで珍重されていました。

2.考察


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ここからは、考察をしていきたいと思います。この筆に関しては、日本の文字発展には、かなり重要なものだったと考えます。文字自体も、日本でできたものもあれば、中国から漢字が輸入されたことによって
文字が発展していきました。これは、筆で、字が伝来されていったことによって、文字が発展していったのではないかと考えました。



今回は



この辺で



ありがとうございます


とある大学生でした



参考文献

はんけいどう 雲平筆 |巻筆 滋賀県知事指定伝統工芸品 |滋賀県 高島市

http://umpei-fude.jp/knowledge.php

しおりの歴史 〜再考〜

はい!!





今回は






しおりの歴史






について





話して







いきたいと






思います




では






いってみましょう!!




目次

しおりの歴史

考察


1.しおりの歴史






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しおりの歴史は、かなり古いです。西洋ではしおりの発祥とされるのは、「キリスト教修道院」と言われています。これは、なぜかというと聖書を読む時に、聖衣というものを一部挟むようになりました。そこから次第に金属製のものや布で作られたものになっていきました。




日本でもかなり古くからしおりが使われています。分かっているだけでも平安時代まで遡ります。あの「枕草子」を書いたされている清少納言もふさけんと呼ばれるしおりの代わり、いわゆる代替のようなものが存在しています。当時では竹や木などでしおりとして成り立っていました。




今でいうとしおりというのは、「」でも紙のしおりが普及したのは、大正時代です。当時は広告の宣伝などの用途で使われています。
















2.考察





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ではここからは考察をしていきたいと思います。





このしおりの発達というのは、なにかの印として遣われていたのかも知れません。例えばある言葉にマルなどの印をつけてそれを順番に読んでいくとある暗号になるなどの言葉の伝達がされていたとされています。






これは、



秘密伝達するための印としてしおりが使われていた考察をしました。
これは、ばれないように人に伝えることを目的にしています。





あとは、人の記憶というものにも繋がってきています。どこまで読んだのか分からなくなってしまうことはよくあります。
そのことを消しました。






今回は




この辺で





ありがとうございます




とある大学生でした





参考文献

コラム|紙と生活|羽車(はぐるま)公式サイト
https://www.haguruma.co.jp/14399/news/view/210




他にもどうぞ



キュウリの歴史 〜再考〜

はい!!




今回は





きゅうりの歴史



について




話していきたいと





思います。




では




いってみましょう!!




目次


きゅうりの歴史

考察


1.きゅうりの歴史





きゅうりの原産地とされているのは、インドからヒマラヤ山脈周辺とされています。当時は今みたいなきゅうりではなくかなり苦いものでした。なので今食べられているきゅうりというのは、何度も何度も品種改良されたものです。





日本には6世紀頃から10世紀の頃中国から伝来しています。それまでは、中国よりも先にヨーロッパで伝来していました。この時に、胡麻や胡桃と一緒に伝来したことからか、中国からみたら西方の民族のことをというようになったことから「胡瓜
と呼ばれるようになりました。



日本で本格的に普及してきたのは、17世紀以降です。これは、遅くなった原因があります。祇園信仰によるものであり、京都八坂神社の紋がきゅうりの切り口ににていたと言う理由からです。



ですがやはりきゅうりが苦かったということが有力だといわれています。




2.考察






ここからは、考察をしていきたいと思います。





このきゅうりというのは、最初の頃に普及しなかった理由としては、強烈な苦味と言うのが原因だったのだと考えます。これは、この苦味を人は「」と誤認識してしまうことが原因なのではないかと思います。




この強烈な苦味は、食べられることを防ぐためにきゅうりが元々持っているとされている防衛機能としてのものです。





でもこれを品種改良をして苦味をとりました。






今回はこのへんで





ありがとうございます





とある





大学生





でした。




参考文献
きゅうりの情報

http://www23.big.or.jp/~marumi/jyouhou/yasai/kyuuri/


他にもどうぞ



ピアスの歴史 〜再考〜

はい!


今回は


ピアスの歴史」について


話していきたいと


思います

では



いってみましょう



目次

ピアスの歴史

考察

1.ピアスの歴史

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ピアスとは、ローマ帝国の時代に、3世紀頃に栄えていかとされる、パルミラ王国からシルクロードを経て、秦の始皇帝へ伝わったとされています。パルミラ王国では、男性がピアスを付けていたとされるレリーフからわかっています。始皇帝の時代の中国では、このピアスが装飾品としての主流的な立場をとっていました。かなり古い時代からあったとされています。ちなみに、アメリカの原住民のインディアンがつけていたものは、ボディピアスであります。さらに、古代のエジプトでは、ピアスは、大人の証という側面も持っていました。


2.考察

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ここからは、考察をしていきたいと思います。このピアスというものは、自分自身を表現するものという面があるのではないかと考えます。それは、ピアスは、耳に穴を開けるということから、穴を開けて、初めてピアスがはめられます。これは、ある意味、自分の表現をするために自分自身の体の一部に穴を開けると言ったオシャレということも言えます。


今回は



この辺で



ありがとうございます。


とある大学生でした。


参考文献

ピアスの歴史

https://www.spicy-lips.com/smp/freepage_detail.php?cid=335&fid=49