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大学生が歴史と歴史学を考える

とある大学生です。未熟者ものですが自分なりに歴史についての疑問や考え方を発信していきたいと考え始めました。アドバイスなどは歓迎します。「ここは違う」や「このような考え方はどうか?」などよろしくお願いします。コメント通して成長していきたいと思います。大学生の考え方なども分かると思うので興味のある方は是非ご参照ください

1分間でわかる!! 霜月騒動

さてさて


今日は、「霜月騒動」について考えていきたいもおもいます。


高校でのかなり重要な語句でもあります。


あとは鎌倉幕府との関係などでも深く関わってきます。


では行ってみましょう!


目次

霜月騒動とは?

考察

1.霜月騒動とは?

この霜月騒動の発端というのは、

鎌倉幕府での得宗の力が強大になっていったことが

原因です。




その得宗の力が 強大になるにつれて

御家人の力よりも


御内人
つまり得宗の家臣との


対立が深まったことによりこのような事件が起こりました。


北条時宗の子の北条貞時


の時代になり



1285年に御内人の中心に(内管領)の平頼綱が有力御家人として



有名な安達泰盛を滅ぼした事件のことを



霜月騒動」といいます。


これの事件により



変化したことが何個かあります。


それは、得宗の絶大な


力によって御内人や北条家一族が幕政の中心の家系へと、変化していったということです。


今までは摂家将軍などの様々なところが


力を持っていました。


です。

さらに全国の守護の半分以上を


北条氏が持つこと


になります。

地頭にも北条氏の影響がでて



得宗専制政治がはじまりました。






2.考察


ここからは私の考察を行なっていきたいと思います。


この得宗が力を増していった理由として

やはり旧幕府軍体制への不満


北条氏の


執権としての過去のからの確立だと考えます。


旧幕府体制の不満については



この前に「元寇」が起こっていたことが原因です。


この時に


御家人は、借金をして


戦いに挑んだのだが


防衛戦だったということもあり


とれる領土がなかったことが考えられます。


そこに対しての不満が募っていった原因なのではないかと思います。


今日はこの辺で



ありがとうございます。


とある大学生でした。



参考文献



『詳説日本史 改訂版』笹山晴生 株式会社 山川出版社2017


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