道路標識の歴史 〜日常歴史〜 再考
さてさて今回は、「標識の歴史」について話していきたいと思います。
前、歩いていた時にふと思いました。
そこで調べみて考察してみたいと思います。
目次
道路標識の歴史
考察
1.道路標識の歴史
縄文時代などでも
私たちの先祖は、石や木の枝を使い道標をしていました。
さらに織田信長は、一里塚に植えられたとされる榎は標識の始まりでもあり、さらに江戸時代では、旧街道に作られた一里塚や、石標なども考えられています。
しっかりと認識されるようになったのは、
「大正時代」とされています。
大正時代に1番最初の標識は、「道路警戒標」と「道路案内標」
と言われています。
さらに昭和になると、内務省令によって「道路標識令」が制定され、
新たに禁止、制限、指導が追加されました。
案内標識は、長方形
警戒標識は、三角形
禁止、制限は、円形
指導標識は、正方形
となりました。
昭和25年頃は、占領されていたこともあり、
長方形の標識に英語が下に書かれるようになりました。
昭和35年には、
今と同じ4種類になりました。
2.考察
ここからは、考察をしていきたいと思います。
縄文時代などでの標識は、人が同じ場所に行けるようにするために使われていた印
であったのに対して、大正時代になると
交通を整理するために使われているという時代によって
用途が違うと言う点から
標識の変換が見られます。
これにより
人々の標識に関する考え方が変化していったのでなないかと思います。
ですが名残もあります。
それは案内標識です。
これは、縄文時代の時と同じような
役割を果たしていたことが分かります。
今回は、この辺で、
ありがとうございます。
とある大学生でした。
参考文献
道路標識の歴史 (変遷)|KICTEC
https://www.kictec.co.jp/varieties-road-sign/history.php/
他も見てください。