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大学生が歴史と歴史学を考える

とある大学生です。未熟者ものですが自分なりに歴史についての疑問や考え方を発信していきたいと考え始めました。アドバイスなどは歓迎します。「ここは違う」や「このような考え方はどうか?」などよろしくお願いします。コメント通して成長していきたいと思います。大学生の考え方なども分かると思うので興味のある方は是非ご参照ください

城郭を考える 松本城

私はこうみえて「お城」が好きです。
よく見に行っています。

そんなことで今回は、お城について
特に松本城について書いていきたいと思います。

1.松本城とは?

松本城は、今の長野県松本市内にあります。
形式は平城です。築城主は、小笠原氏か、石川康昌という説があります。
元々は、深志城と言われており、実は一時期甲斐の虎と呼ばれていた武田信玄に支配されていました。その後小笠原氏が治めたが本格的な築城は、石川康昌によるものでした。
江戸時代、石川氏が改易の対象となり他の譜代大名と入れ替わりをしてから明治維新となりその頃民権運動家である市川量造により天守の破却は免れてたと言われています。


2.特徴

この松本城は、平城です。近世の頃には、主格部を石垣づくりに変えていきました。低湿地帯に建てられたこともあり浮城のようにも見えます。


ここでポイントを書いていきたいと思います。

①として 「天守群」です。

天守を中心に小天守と櫓が結ばれています。

この写真の真ん中が大天守でその右が辰巳付櫓その更に右が月見櫓、左には、乾小天守が見えます。


②として 「黒門」です。

本丸と正門で枡形門です。

3.ここからは、私の考察です。



この城は別名、烏城とも言われています。これは、天守全体が黒い色で塗られているからです。
これは、夜暗い時などに目立たせないようにしていたのではないかと考えました。


これは、暗い色にしていると景色と同化するからです。これが逆に白だと目立ってしまいます。さらに石垣づくりを見ると打込接だということがわかります。これは、比較的新しい石垣の積み方です。さらに堀がかなり大きいです。これは、この長野の気候を加味していたのでなないかと考えられました。

この地方では雪が頻繁に降ります。

屋根に雪が溜まりその雪を降ろすことができなかったり上に積もっていくだけだと屋根が潰れる可能性があります。それを防ぐためと言う理由も少なからずあったと考えられます。

さらにこの堀と枡形門は、敵の侵入を防ぐことができるギミックだと考えます。

堀があると橋を渡らなければなりません。その場所に兵士を配置することによって侵入を防ぐことができます。
枡形門などでも兵士の配置する場所によってかなり厄介なものだったのではないでしょうか。

このお城は他の城との比較をするのができるお城だと考えます。
なので比較していきたいと思います。


とある大学生でした。

参考文献
蔵 敏則 『ビジュアル・ワイド 日本名城百選』株式会社小学館 2012


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