1分でわかる! 新田義貞
今回は、新田義貞を1分で上述していきたいと思います。
1.新田義貞とは?
まず新田義貞について話していきたいと思います。
この人物は、鎌倉幕府の時、1221年の承久の乱が起きた後に天皇の監視の目的で置かれた六波羅探題を後醍醐天皇の命令で足利尊氏に鼓舞され、関東で挙兵し、鎌倉に存在した、得宗(北条氏での嫡流)の北条高時以下を滅ぼして、1333年に鎌倉幕府を滅ぼした人物です。
2.鎌倉幕府を滅ぼそうとしたきっかけ 考察
なぜ鎌倉幕府を滅ぼしたのかそれは、元寇などで封建制度が崩壊したことが原因と考えます。
封建制度とは、
簡単な言葉でいうと御恩と奉公の関係です。
幕府のために働いたらその返しとして所領を手に入れることができるということです。これは、基本的に国内での所領が限定されている。
元寇は、第8代執権、北条時宗が幕府を治めていた時にフビライ=ハン率いるモンゴル軍が2回攻めてきた戦です。
この時に幕府は、日本を守るために武士を九州に派遣して戦いました。命をかけて戦った武士達は、幕府から所領が貰えると思っていましたが貰えませんでした。
そもそもわけ渡す所領が不足していたからです。
この問題が存在したということで武士達は不満を募らせていきました。
さらに幕府内部では得宗に仕える内管領の長崎高資が幕府内で権勢をふるい、得宗が治める政治にも御家人は不満を募らせていきました。
この封建制度の崩壊が鎌倉幕府の崩壊を導いたのではないかと考えました。
今回は、この辺で!
とある大学生でした。
参考文献
『詳説 日本史』株式会社山川出版社 2017
新田義貞-戦国武将列伝
https://senjp.com/yoshisada/
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