室町幕府の再考察 ~別視点から考える~
だんだん寒くなってきました。
暖かいものが恋しくなってきましたね。
今回は、
"室町幕府の再考察"
ということで室町幕府を別の視点から考えてみようというものです。
1.まず室町幕府の概要
室町幕府とは、足利尊氏が開いた幕府です。 「建武式目」つまり、政治をどのような方向にもっていくかを述べたマニフェストのようなものを制定して成立しました。この時期から南北朝時代が始まったと言われてますがその記事はまた別の記事で考察してみたいと思います。
鎌倉幕府の政治体制と似ているところもあり違う所ももちろんある幕府です。
鎌倉幕府では執権と呼ばれる機関がありました。
これは、将軍を補佐、つまり助ける役です。
管領になれる家柄が決まっていきました。
これらは
「三管領」と呼ばれています。
さらに室町幕府の支配機構は、鎌倉幕府の支配機構よりも地方に重点を置いています。
鎌倉幕府成立から存在する、侍所、政所、問注所に加えて、奥州探題、九州探題、鎌倉府か存在します。
侍所は、軍事関係の役割があります。
政所は、政務関係が中心。
問注所は、訴訟に関する事柄が中心。
奥州探題や九州探題は、地方をまとめる役割をしながら九州では、外交も行っていました。
鎌倉府は、鎌倉公方中心に関東10国を統括していました。
室町幕府が滅亡したのは、織田信長が存在した、1573年頃です。15代将軍足利義昭の追放によって終わりを迎えました。
2.別視点からの考察
ここからは、私なりの考察を踏まえつつ、すこし代わった視点から見ていきたいと思います。
2-1 支配機構を受け持っていた人たちからの視点
侍所や問注所などの支配機構に従属していた人々からの視点で室町幕府をみると、室町幕府というものは、政治的な主体であり従うものだという見方ができます。鎌倉の時とは違い、反乱を防ぐため、監視するために奥州探題わ九州探題を置いたと見ることもできます。さらに有力武士を付けさておくことにより幕府の力の正当性や統率力を見せておきたかったのではと考えられます。室町幕府の一党体制といっても良いでしょう。
2-2 李氏朝鮮からの見方
あえて日本内地からではなく外地から見てみることもしてみましょう。李氏朝鮮とは、この時代、通信使での関係でした。この時期になると倭寇が現れ始めます。関係があるないにしろ、自分達に危害を加えられたら国にも影響がでるかもしれない。
前期倭寇は、日本人が中心だったことから幕府と庶民の明確な違いを感じ取っていたのではないかと考えられました。国内のレベルにかなりの差があったのではないかと考えられていたのかもしれません。
2-3 琉球からの視点
琉球からの視点も考えて見ようと思います。日本は琉球を対等の属国だと考えていました。ですが決して琉球は、対等などと考えてはなかったと思います。琉球はこの時代明との関係か強かったです。そう考えると日本のことこそ属国と考えられるのも一理あるのではないかと考えました。
3.まとめ
今回は室町幕府を別の視点から見ていきました。
この時代には他にも南北朝、観応の擾乱などの事件が様々起こっています。
他にもあるので随時考えていきたいと思います。
とある大学生でした
参考文献
室町幕府とは?歴史人
https://history-men.com/muromachi-bakuhu/
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