1分でわかる!! 伊能忠敬
はい!
今回は、前募集した書いて欲しい歴史についてです。
今回は、伊能忠敬
について書いていきたいと思います。
ではいってみましょう!!
目次
伊能忠敬とは?
考察
1.伊能忠敬とは?
伊能忠敬は、
下総佐原の商人
でした。
天文方と呼ばれる人達の指導をうけ、
幕府の命令をうけて
日本の沿岸を測定し、「大日本沿海輿地全図」を完成させました。
伊能忠敬が
日本地図の測量を始めたのは、
なんと50歳の頃でした。
さらに
伊能忠敬は、八丁堀の自宅で亡くなりました。
その時まだ日本地図は、
「未完」
でした。
実際に完成したのは、
3年後でした。
この日本地図を作るためには、かなりの根気が必要だと感じます。
ですが、伊能忠敬は、雨の日も熱心に
測量をしました。
なので高橋至時
からは、高評価をうけていました。
2.考察
ここからは、
考察をしていきたいと思います。
幕府が伊能忠敬にこの地図を作るという命令をだした
背景として
幕府の中に、そのまで測量の技術を持った人がいたとしても
長く続く人がいなかったからなのではないかと
考えました。
さらに
伊能忠敬は、かなり計算に特化した人であったことから
この計算力を使い、早くから日本地図を作成したかったのではないと思います。
これは、幕府が
海外の存在に気づいており、
この海外から
先進国であるということ
示したかったのではないかと考えます。
1828年頃には、
シーボルト事件などの事件などもありました。
そこから日本の技術が漏れた時に、
対応策として
日本地図を作れるほどの測量技術があるということを
示したかったのではないかと考えます。
今回は、
この辺で、
ありがとうございます。
とある大学生でした。
参考文献
伊能忠敬って
https://www.inopedia.tokyo/01ino/
『詳説日本史 改訂版』笹山晴生 株式会社 山川出版社2017
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